テクニカルと相場のおかしな関係
今回はちょっと当て屋の話をしますね。
うちのブログと師匠のブログは、チャートやテクニカルばかりに着目せず、マネージメントにも視野を広げたほうがいいよとなんども書いてきました。
それなのに、何故また「当て屋」の話?
こう感じるのも自然ですね。
あ、ちなみに「当て屋」とは為替和尚@寺子屋的な用語で、
チャート分析のうち「予想」や「予測」に着目したことを指します。
改めて「当て屋」の話を取り上げるわけでが、誰でも最初に相場に向き合うときは、「当て屋」から入るためです。
為替相場(FX)の場合は、買いか売りの2択。
何も考えずに売り買いを決定するなら、確率は50%のはずです。
でも、結果は50%に届かない結果に。
それじゃあ、より勝率の高いところはどこよ?
って必死になってエントリーポイントを探すのが当て屋の始まりです。
当て屋の手法には、ファンダメンタル分析とテクニカル分析の2種類があり、いずれか一方、あるいは両方を使って相場の動きを予測します。
ただ、為替、FXをやっている人のほとんどが、テクニカル分析だけを使ってると思います。FXは株やその他金融商品に比べると、テクニカルがワークしやすい商品と言われています。
でも、テクニカル分析は誤用、誤解されていることが多いのが実情です。
なんでテクニカルが必要なのか?
吉田も皆さんに比べれば少ないかもしれないけど、テクニカル指標を使います。でも、それをエントリーシグナルに使うことはまずありません。
でも、色んな所で話を聞いたり、記事を読むと、テクニカルをシグナルに使ってる人が多数います。
なぜか?
理由は簡単です。というより、ひとつしかありません。
テクニカルを使ったほうが
チャート分析が簡単だから
この「簡単」というのはすごく重要です。
たぶん、みなさんが考えている以上に。
簡単。シンプル。単純。
言葉はなんでもいいですが、チャートを単純化することでひとつ恩恵が得られます。それは…
勝てるようになるからです!
特にFXをはじめて間もない人にとって、テクニカルが発するさまざまなシグナルやサインは重要な情報になります。
これまで、どう見ればよいかわからなかったチャートに、一定の見識を与えてくれます。これは、「なんだかよくわからないもの」から「現在の状態はレンジだ」「トレンドだ」という変化をもたらします。
しかし、この経験(テクニカル指標を使って、勝てるようになる)は、
不毛な聖杯探しにつながる可能性もあります。
判断の拠り所をすべて
テクニカル指標に求めて
しまうためです
そもそも相場とは?
テクニカルの話を続ける前に、盛大な脱線をしたいと思います。
あらかじめ宣言したので、脱線じゃないかもしれないけど。
まず、為替相場(FX)で取引しているものは、何でしょう?
そうですね。通貨です。
でも、通貨って何ですか?
それは、各国政府が価値を保証している紙幣や硬貨の総称ですね。
では、通貨の価値って?
この話は以前にもしたと思いますが、ちょっとおさらいです。
人間にかぎらず、あらゆる生き物は生存のために、食料=エネルギーを必要とします。ある時代まで人間は、狩りや採取によって食料を得て、それを自分の家族や集落で分け合いました。
この時代は、ほしいもの、必要な物はすべて自分たちで調達する必要がありました。
そして、ある時期から自分の持っているものと、相手の持ち物を交換する「物々交換」がはじまります。余ってるものや、不要なものと、
自分がほしい物を相手と交換する。
この原理・仕組みは、現代でも見られます。
でも、パソコンがほしいと思って、家電屋に自転車と交換しに行く人がいないように、現代では通貨、お金とほしい物を交換します。物々交換は理にかなった行為ですが、社会が複雑化していくと、「物」ではなく「行為(サービス)」も交換対象になりました。また、物として保持するには、保管場所の問題や、食料であれば腐ってしまうなどロス(損失)の問題も発生します。
この問題を解決するために生まれたのが、「お金」であり「貨幣」です。
ある時期まで、金や銀などの貴金属がその対象でした。
日本の場合は特殊で、江戸時代まではすべてお米に換算していました。
武士や大名の経済力を「石高」で表現するのは、日本だけですね。
1石は兵士ひとりを1年間食わせるのに必要な量と言われてます。
つまり、原始的な社会に見られた、食料=エネルギーという単位に
価値を置き換えたものです。
でも、昔の日本にも貨幣はありました。お米をその時の相場の価格に照らして、お金に変える。お米自体の価値(カロリー、エネルギー)は変わらないけど、米は穀物。不作の年もあれば、豊作の年もある。
時期や需給によって
価格が変動します。
為替相場でやりとりしているもの
ここで為替相場、FXの話に戻します。
冒頭でも触れてるように、為替相場で取引するものは通貨です。
通貨は身近なもので、我々はこれを手に入れるために仕事をします。
現代では、お金=生命と置き換えてもいいかもしれません。
完全な自給自足でもない限り、衣食住にはお金がかかります。
生活するのにお金が必要です。
それは商品やサービスを提供する側にとっても同じなので、
物の価値に応じた「価格」がつけられてます。
たとえば、おにぎりがひとつ120円。
コンビニでおかかのおにぎりを一つ買うと、おにぎりひとつで約180kcalのエネルギーが補給できます。お腹をある程度満たし、180kcalのエネルギーを補給する対価は120円と言い換えることが出来ます。
でも、焼きそばパンならどうか? 同じ120円で焼きそばパンを手に入れた場合、焼きそばパンの平均的なカロリーは約300kcal。同じ値段のおにぎりに比べると、1.6倍のカロリーがあります。
60円足してカップ焼きそばにすれば、倍の600kcalが得られるわけです。
単純にカロリーベースの話で済ませられませんけど、
ものには価値があり、それに応じた価格が付けられています。
価格は売り手と買い手の双方が納得する水準でなければ、
取引は成立しません。
こんな益体のない話をしましたが、感の鋭い人なら気付いてるはずです。
為替相場で取引している「通貨」がなにものか?
通貨は各国政府が信用を保証して発行しているものです。その国の中であれば、通貨と交換するものは、商品でありサービスなので、価格と価値の整合性は取りやすいかも知れません。
でも、外国為替証拠金取引、いわゆるFXで取引されているのは、通貨と通貨です。ドルを売って円を買ったり、またはその逆。
通貨の信用は発行した国が保証してますが、価値までは保証されてません。
1ドル=105円なんていっても、日本国内で105円で買えるものはたかが知れてます。では、アメリカで1ドル出せば、何が買えるのでしょうか?
チャートに向かいながら、1ドルで何が買えるかなんて気にしないように、取引の対象は通貨でも、そこにモノの「価値」は存在しません。
金本位体制の時代であれば、1ドルもしくは1円が金何グラムといったように、価値の裏付けがなされていましたが、現在はそれはありません。
完全に需給の世界です。
リーマンショック以降、日本でも1ドル何円が適切か?
今は円安だ、円高だなんて話を耳にしますが、米や金のように価値に換算できるものに置き換えていない以上、不毛な議論です。1ドル150円の時代から見れば、現在の105円は超円高だし、78円の時期から見れば超円安です。
もともと価値の裏付けのない「通貨」を扱っているわけだから、
現在のレートが高いか安いかなんて誰にも判断ができないのです。
だから、その値動きを表した「チャート」を見ても、どうすればいいかわからない。なら、判断を容易にしてくれるテクニカルに従おうという流れが出来上がるのです。
思いの外、長くなりましたね。
続きは次回以降に(笑)。
kcal/円
新しい通貨ペア!(笑)
この凄く未来感な発想は吉田さんならでは な感じがしますね(笑)
血中の[乳酸濃度=疲労度]として、労働強度を管理するという研究も進められているそうなので、未来の労働者は、消費calで賃金を受け取る部分もでてくるかも知れませんね。
昔々のヨーロッパでは、借用書を現在のお金の様に使っているうち、いまのお金に変化したと聞いた事があります。(たしか、これも金.銀の借用書だったような?)
随分前に教えて貰ったことがあって、面白いWebページだったので、ぜひ見て頂きたかったですが見つけられませんでした(;_;)
今回、後編から、なんだか考えさせられる内容ですね!
次回以降も楽しみです!