意思疎通に必要な条件は?
ここ最近の記事でなんどか登場した「パトリオットシステム」。
このシステムは、2009年12月につくられたルールです。
しかし、パトリオットシステムは、チャートこそ1分足を使っているものの、
スキャルピングではなくデイトレードのシステムなんです!
もともと、師匠(為替和尚)のクローンを作るのがスタートラインなのに、
なぜこのルールの発案にいたったか。
今日はその背景をふくめて、吉田や師匠の歩んできた道を紹介しますね。
東京-大阪 550km
師匠の家は大阪府。
吉田の家は東京都。
その距離およそ550km。
まぁ競馬のパートナーは北海道なのでそれに比べれば近いが、近所のコンビニに行く感覚では、遠すぎる。
この距離を埋める道具が電話とスカイプ。
このころは、お互いに無料通話できるキャリア同士ではなかったので、
電話で一報入れてから、スカイプで話をするというのが通例だった。
師匠「吉田っち、今チャート見られる?」
吉田「見られますよ。ちょっと待ってください」
おなじテンプレートを入れたMT4の画面をみながら相場の話をした。
恥ずかしながら、このころの吉田は師匠の話が半分も理解できなかった(汗)。
師匠「そこに節があるやろ?」
吉田「え? どれですか?(節ってなんだ?)」
師匠「15:32辺りにあるサポレジや」
吉田「ああ、ありました(なんだよ、サポレジならサポレジって言えよ!!)」
こんな感じ。
最初は用語がかみ合わず、意思疎通にも支障をきたしている始末。
当初は、師匠に頼まれたインジケータを作り、スカイプで相場に対する考え方などを聴いていた。
吉田は、師匠に出会う1年前から独学+トレード塾でFXについて勉強してきたが、師匠の言うことはなんかよくわからん。
用語の食い違いもあるが、なんか考え方がちょっと違う気がした。
師匠の言葉は明確でいて曖昧さがない。だけど…
言ってることが「???」
たとえば、エントリーのルールを説明するときも、「RCIが3本おなじ方向に向いて、EMAがクロスオーバーしたらエントリー」といったと思ったら、
「せやけど、エントリーなんてなんでもいいねん」と言ってみたり…
MT4のテンプレートみながら「すごくたくさんインジケータ表示されてますけど、これ全部見てるんですか?」と質問すると、
「見てないよ?」
とさらって言ってのける。
はっ? なに言ってんだこのおっさんって気分になる。
以前、出会ったトレーダーや講師連中は、エントリールールにこだわっていたが、師匠は別段気にした様子もない。
その道の「プロ」と呼ばれる人と会話をするなら、まず相手が話している言葉、用語を理解する必要がある。
その上で、ベースになっている考え方の違いも腑に落とす必要がある。
この時の吉田には、その両方が欠けていた。
こんな調子なので、電話で話をしてもなかなか理解が深まらないという状況が続いていた。それに業を煮やしたのか、師匠がある日言った。
師匠「吉田っち。あかんわ。1週間くらい泊り込みで合宿やろう!!」
鶴の一声で、2009年11月に大阪の師匠の家に泊まりこみ、合宿が始まった。トレードの話、ブローカーの話、お互いの目標や身の上話などを話した。
この時一番感じたのは、「生活時間帯が違いすぎる!!」ってこと。
吉田は基本的に朝方人間で、夜12時には寝てしまう。
師匠は夜型で、昼過ぎにならないとまず起きてこない。
まぁ、トレーダー、特に為替トレーダーは、マーケットにあわせて生活するので仕方がないが……。
■忘年会をかねたトレードルール作り
2009年12月末のことである。
クリスマスを目前にひかえ、街は年末モード。
忘年会をかねて2泊3日で師匠のうちに泊り込み、トレードルールを作ることになった。参加者は3人。師匠と吉田と、仲介者であるともワンである。
初日の夕方に、3時間くらいかけてチャートを見ながらあれこれと検討した。この時できたのが冒頭でも紹介した「パトリオットシステム」である。
「パトリオット」の名前の由来は、察しのとおり、迎撃用の地対空ミサイルの名前から来ている。「相場の動きに合わせて、その波をすべて迎え撃つコンセプト」だと師匠は言った。
しかし、どうみても、6月に名古屋であったときに説明されたスキャルピングのルールからかけ離れている。
疑問に思った吉田は、このことを師匠に尋ねるとこんな答えが返ってきた。
師匠「ボクのスタイルはスキャルピングや。ロンドンオープンからの2時間でだいたい一日のノルマを達成しとる。だけど、これから作るのは24時間稼動する自動トレードシステムなので、どうせなら相場の状況にあわせて全部いただいたほうがええやん」
師匠のスキャルピングはどの時間帯でもワークするが、「待つのがしんどい」と師匠は言う。でも、機械は何年でも待てるし、利を引っ張るにしても、条件がそろうまで辛抱してくれる。
だったら、できるだけ長くポジションを引っ張ったほうがいいという
解釈らしい。
なるほど。まだまだ相場の知識が不足していた吉田は納得した。
3時間の会議でトレードルールは完成し、年明けにインジケータを
作ることで合意し、会議は終了した。
その後、大阪の繁華街でナベを食いながら忘年会をした。
この時点では、誰もがここまで自動トレードシステムの開発が難航するとは、予想もしてなかった。
ヤバいっす。このエピソードシリーズで一冊の本ができそうですね。続きが楽しみで、検証どころではありません。
なんだか、その場の映像が観えてきます。。。
( ゚∀゚)o彡゚ツヅキガタノシミ